高圧洗浄機ってどんなもの?高圧洗浄機の仕組みと、ケルヒャー の歴史2つの転機
高圧洗浄機、テレビショッピングでお馴染みになってきたこの商品ですが、どんな仕組みなのか、わかるようでわからないことも多いでしょう。
あの水圧で汚れを落としていく様子は、テレビ画面を通して見ていても痛快です。
この高圧洗浄機の仕組みと、高圧洗浄機の代名詞であるケルヒャー の歴史について触れていきたいと思います。
目次
高圧洗浄機の仕組み
高圧洗浄機とは、どんな仕組みで汚れを落としていくのでしょう。
その仕組みについて、まずは説明していきたいと思います。
高圧洗浄機は、水に高い圧力をかけることで、強い水流を作ります。
水圧洗浄機とも呼ばれますが、その仕組みがわかると、なるほどというネーミングですね。
高圧洗浄機は、その強い水圧で打撃力を作り、汚れを落としていきます。
その高い水圧と打撃力は、古い壁などであれば、破壊してしまうほどの威力があります。
高圧洗浄機が汚れを落としていく力は、強い水圧と打撃力が中心となるため、基本的には洗剤が必要ないこと、使う水の量が少なくて済むなどのメリットがあります。
ホースの先に指をあてて水を出したら、何もしないでホースから水を出す時よりは、強い水圧の水が出てきますし、その水圧で遠くまで水を飛ばすことができるということは、皆さんもわかっていることと思います。
こうやってホースの水を高圧にすることで、届かない場所に水を撒いたり、なかなか落ちにくい汚れを落としたりしてみた経験がある方も多いと思います。
その原理を応用して、機械や電気、ガソリンの力を使い、商品化したものが高圧洗浄機なのです。
高圧洗浄機の種類
高圧洗浄機には、電気で動くもの、ガソリンエンジンで動くものなどがあります。
また、高圧洗浄機には、業務用のものと家庭用のものがありますが、このうち、家庭用のものは主に電気で動くものが多いようです。
業務用になると、軽油で動くものや、ガソリンで動くものがあります。
ガソリンエンジンで動くものは、だいぶ大型になります。
ホームセンターなどで買うことのできる高圧洗浄機は、電気式、または軽油で動くものが多いのですが、主に家庭で使いたい時には電気式、屋外の電気のない場所で使いたい時には軽油式がおすすめです。
目的や使う場所をよく考えてから購入すると良いと思います。
高圧洗浄機の歴史
高圧洗浄機が始めて作られたのは、ドイツです。
そうです。
皆さんも一度は聞いたことのある、ケルヒャー というドイツの会社が作ったのが最初です。
この最初の高圧洗浄機は、発明家であったアルレッド・ケルヒャー によって作られ、1935年にケルヒャー という会社が設立されました。
それでは、このケルヒャー の創業者であるアルフレッド・ケルヒャー について、また、ケルヒャー という会社について、掘り下げてみたいと思います。
ケルヒャー の転機その1 創業者アルフレッド・ケルヒャー
ケルヒャー の創業者、アルフレッド・ケルヒャー は、発明家でした。
このアルフレッドは、1901年にドイツのバート・カンシュタットという都市で生まれました。
好奇心旺盛で発明が好きな少年だったそうです。
アルフレッドは23歳になると、シュトゥットガルト技術大学で公認技術者の資格を得て、父親の会社であった代理店に勤めるようになります。
すると、その後の数年間で、父親の代理店を成長させ、1935年にはアルフレッド自らの事業を立ち上げました。
そこで、ルフトハンザ社から航空機のエンジンを暖める暖気用ヒーターの開発を依頼されます。
ルフトハンザ社は、ドイツの航空機会社です。
そしてわずか2年の間に、ガソリン燃焼式の温風送風機を開発することに成功しました。
発明家としての腕と、経営者としての先見性が生かされたのですね。
この事業が、後のケルヒャー社の前身となっていきました。
ケルヒャー と第二次世界大戦
そして、アルフレッド・ケルヒャー は、あの過酷な第二次世界大戦時代を生き抜いた人物でもあります。
第二次世界大戦では、ドイツもまた、日本と同様、敗戦国となり、国土は悲惨な状態となっていました。
アルフレッドは、そのような状況をどのように切り抜けていったのでしょうか。
戦後には、なんと砲弾の殻を使った丸型鉄製ストーブを作ることを思いつきます。
その他にも、台所用のレンジ、手押し車などを作り、それらを販売することで、幅広く事業を展開していきました。
ヨーロッパ初の温水高圧洗浄機
アルフレッドは、1950年になると、ヨーロッパで始めての温水高圧洗浄機の開発に着手し、成功しています。
当時としては、あまりにも画期的すぎる製品であったため、すぐに普及することはありませんでした。
けれど、この温水高圧洗浄機製造に成功したことが、後のケルヒャーの高圧洗浄機の原点となっていったのです。
ケルヒャー の転機その2 ケルヒャー の死
このように、順調に事業を展開していたアルフレッド・ケルヒャー でしたが、彼は、1959年になんと58歳の若さで心臓発作で亡くなってしまいます。
その後は、妻のイレーネがケルヒャー を引き継いだのです。
イレーネは、ここで経営の才能を発揮します。
ケルヒャー を多角経営することで、会社としての規模をどんどん拡大していきました。
しかし、1970年代に入ると、戦後最大の不況が訪れます。
この困難をどうやって乗り切っていったのでしょう。
なんと、イレーネは、高圧洗浄機に経営資源を集中させることで、不況を乗り切ることに成功したのです。
この時に、コーポレートカラーもそれまでの青から、新鮮で綺麗、そして目立つ色イエローへと変えていきました。
確かに、ケルヒャー と言えばあのイエローが頭に浮かびます。
色のイメージを武器に事業を拡大していくなんて、エレーネは本当に経営の才能があったのですね。
ヨーロッパでのケルヒャー
ケルヒャー は、今や高圧洗浄機の代名詞と言ってもいいでしょう。
ヨーロッパでは、高圧で洗浄することを、「ケルヒャーする」と言うそうです。
この「ケルヒャーする」という言葉は、何と辞書にまで載っているとのこと。
それほど、ケルヒャーという言葉が、生活の中で馴染みのあるものになっているのですね。
日本での高圧洗浄機の歴史
このように、ヨーロッパでは辞書にまで出てくる言葉としてお馴染みのケルヒャー 、高圧洗浄機ですが、日本で広まったのは1980年代になってからのことです。
日本では、1988年に、ケルヒャー クリーニングシステムズ株式会社が設立されました。
現在のケルヒャー ジャパンの前身です。
高圧洗浄機での洗浄というのは、それまでの日本では、全く馴染みのなかった洗浄の方法でした。
ですので、家庭用の高圧洗浄機の便利さや使い方などを知ってもらうのはとても骨の折れることだったようです。
今では、高圧洗浄機の認知度も高くなってきていますが、このような状況になるまでに、かなり年月が必要だったのですね。
ケルヒャー で洗浄をした歴史的建造物の数々
ケルヒャー は、その高圧洗浄機の洗浄の腕を買われ、様々な歴史的建造物などの洗浄を任されてきました。
代表的なものとしては、ニューヨークの「自由の女神」、リオデジャネイロの「キリスト像」、ウ ゙ァチカン市国の「サン・ピエトロ広場」などなど、挙げたらキリがないほどです。
これほどまでに、信頼されているケルヒャー 、これからも、人々の生活に役立っていってくれることでしょう。
まとめ
さて、高圧洗浄機の仕組みとケルヒャー の歴史について、まとめてみました。
こうやって改めてまとめてみると、高圧洗浄機がいかに画期的な発明だったかがわかります。
水圧で汚れを落とすという発想は、洗剤を基本的には必要としない、とてもエコな洗浄方法とも言えます。
このような製品を開発してくれた先駆者たちに、改めて尊敬の念を覚えます。